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高瀬川とその開削 ・高瀬川の開削により京の三条まで大阪船が搬送 ・写真はクリックすると拡大されます。 |
明治の文豪森鴎外は、テーマ小説の先駆けとなった「高瀬舟」を書いている。この「高瀬舟」の舞台は、角倉了以が、晩年に開削した高瀬川である。主人公喜助は、舟上で護送してきた同心に晴れ晴れとした自分の心情を話すくだりがある。読む者に深い余韻を残すところであり、いま高瀬川のほとりに植樹されている柳も、往時の面影を残す。 |
鴨川の二条の北側にホテルフジタがある。ここが了以の本邸宅跡(写真右)でホテルの奥にその邸が今も残っている。 |
木屋町通蛸薬師に所在する京都市「立誠」小学校がある。この学校の正面玄関左に、角倉了以の顕彰碑(写真左)が建てられている。高瀬川開創350年を記念した同地域の高瀬川保存会によって建立されたもので、了以の功績などを中心とした資料を同保存会が整えている。 INDEXページへ
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