京都じっくり観光 << 嵐山・嵯峨野 散策ガイド << MAPと史跡 << 直指庵・大覚寺・大沢の池

直指庵
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正保3年(1646)隠元禅師の教えを受けた独照同光が「直指伝心」を旨として創建したといわれるこの庵は、今も奥嵯峨の風情を多く残す竹林の間の小径の奥にある。
嵯峨野は女性の来訪の多い所である、とりわけ若い女性で賑わう所である。直指庵を訪れた女性の多くがこの寺に備えられている「思いで草」というノートに青春の心うちを書き残している。ノートは庵主の発意から提供されているものであり現代女性の「駆け込み寺」的性格を持つ。
安政の大獄で捕らえられた津村(村岡)のり子が謹慎し隠棲した所でもある。彼女の墓や与謝野晶子の歌碑などがある。
大覚寺
嵯峨天皇の離宮としてつくられ天皇退位後仙洞嵯峨院となる。貞観18年(876)大覚寺と命名される。両統迭立時代・南北朝対立期の大覚寺統の精神的支柱の役割を果たしたところである。
大覚寺統の後嵯峨帝・亀山帝も退位後はここに入寺・後宇多帝はここで院政をとり行ったので嵯峨御所ともいわれる。歴代の法親王なども入寺。格式の高い門跡寺院として今日に至っている。嵯峨流華道発祥の寺で今日の嵯峨御流華道総司所はその要である。
明徳3年(1392)の南北合一の話し合いは同寺の御冠の間で行われたといわれるが兵火で荒廃し、現在の建物は安土桃山時代に復元されたものである。
大沢の池
三沢といわれる大沢・広沢・猿沢は日本の三大名月鑑賞池である。ここ嵯峨野にはこの三つの池のうち奈良の猿沢を除く二つの池がある。
地質学的には嵯峨野は大堰川の氾濫源で各所に沼沢池があったといわれる。都の先住者秦氏がこの地に大堰をつくり溢水を食い止め、肥沃な田地をつくったのが嵯峨野であるがいくつかの沢池を灌漑用として残したのも当然である。

広沢の池も灌漑用としてつくられたうちの一つであるが、この大沢の池は嵯峨天皇が離宮(いまの大覚寺)を設けた時に中国の洞庭湖を模して作ったものである。池の中に「天神島」「菊ヶ島」の二つの島がつくられている。
「菊ヶ島」で天皇は野菊を採り水がめにこれを差し入れたときの形が「天・地・人」にかたどられたことから嵯峨華道がはじまったといわれている。
また、名月鑑賞の池として古来より仲秋の名月には観賞会が行われてきた。現在も竜頭船や観賞船を浮かべ観月の夕べが行われている。
なおこの池の北方に「名古曽の滝」の跡がある。藤原公任の「滝の音の絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて」の歌はこの滝を詠んだものである。
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