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世界文化遺産 IN 京都

木造建築の匠(たくみ)と日本庭園の美、その両者と四季の自然との調和ある佇まい。京都には世界から認められた多くの歴史的遺産があります。 京都の『世界文化遺産』巡りも京都を観光する際の楽しみのひとつです。

上賀茂神社
古代の豪族・賀茂氏の氏神社
●市バス上賀茂神社前から徒歩すぐ●075-781-0011
上賀茂神社 正式名は賀茂別雷神社。 古代の豪族・賀茂氏の氏神社。 下鴨神社の祭神・玉依姫命の子である賀茂別雷神を祀っている。 厄除けの信仰を集めている。 本殿と権殿は国宝。文久3年(1863)に改築されている。 また、社殿の多くが重要文化財の指定を受けている。

下鴨神社
古代の豪族賀茂氏の氏神社
●市バス下鴨神社前から徒歩3分●075-781-0010
下鴨神社

下鴨神社 2
原生林の自然を残す「糺の森」の奥に位 置する賀茂御祖神社は、一般に下鴨神社の名で呼ばれている。 糺の森を清らかな御手洗川が流れ、境内にも清流をみせている。 古代の豪族賀茂氏の氏神社であり京都でも最も古い神社。祭神は上賀茂神社にまつられている賀茂別 雷神の祖父神にあたる賀茂建角身命と、母神にあたる玉依姫命のニ神。 平安遷都後は王城の守護神として栄えた。 東西ニ棟の本殿は三間社流造りで桧皮葺きの国宝である。55棟からなる社殿は、すべて寛永5年(1628)の建造で重要文化財となっている。

行事も多く、1月4日の「蹴鞠始め」、5月3日の「流縞馬」、そして5月15日の上賀茂神社との共催の「葵祭」は京都三大祭として広く知られている。

東 寺
平安京への入り口である羅城門の左右に築かれた東西の寺のひとつ
●JR京都駅八条口から徒歩15分●075-691-3325
東 寺
平安京への入り口である羅城門の左右に築かれた東西の寺のひとつ。建立の最中、空海により真言密教の根本道場とされた。 伽藍は、南大門、金堂、講堂、食堂が直線上に建つ。主に、室町時代から江戸初期に造られたのものである。 日本一大きな五重塔や寝殿造りを思わせる大師堂など密教文化を代表するものが建ち並ぶ。

毎月の21日は、地元では「弘法さん」と呼ばれる縁日が催される。これは空海の命日にちなんで行われるもの。また、講堂内の貞観彫刻など多数の文化財・真言密教芸術を有する。

清水寺
本堂である清水の舞台を始め四季の彩りとともに美しい
市バス清水道10分、市バス五条坂10分
清水寺
清水寺は伝承によると坂上田村麻呂が780年(宝亀11)、延鎮を開山として東山の音羽山中に堂宇を建てたのが始まりといわれている。山門や三重塔、また、清水の舞台で有名な本堂、それぞれが四季の彩 りとともに美しい。

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、物事の決断をする時、思いを決して身の振り方を決めるときに使われてきた言葉。この清水の舞台は斜面 の上に建てられ、139本の支柱に支えられており、これより眺める市街の眺めは見事である。
また奥の院には秘仏十一面千手眼観音が安置されている。

醍醐寺
上醍醐、下醍醐合わせて8万坪の境内には、約2000本の桜
●市バス醍醐三宝院前から徒歩すぐ●075-571-0002
醍醐寺 1
醍醐寺 2
真言宗醍醐派総本山。 醍醐山の全山が寺の境内になっていて、山上の上醍醐、山裾の下醍醐に分かれている。80を超える堂宇の多さと、寺域の広さでは、京都でも屈指の大寺院である。 創建は、貞観年間(859〜877)のこと。仁王門を入ると豊臣秀吉が紀州より移した金堂や御影堂なとが並ぶ。金堂は平安末期の遺構。堂内には鎌倉時代の薬師三尊(国宝)が

花見の名所として知られ、上醍醐、下醍醐合わせて8万坪の境内には、約2000本の桜が植えられている。慶長3年(1598)秀吉が豪華な花見の宴をくりひろげたことにらなんで、毎年4月第2日曜日に、太開花見行列が行われる。

醍醐寺 3

仁和寺
御室御所の名がある。「御室桜」でも知られる。
●市バス御室仁和寺すぐ 、京福電車御室徒歩5分
仁和寺
仁和4年(888)、字多天皇により完成され、御室御所の名がある。大きな仁王門を通 り境内にはいるとその広大さに目を奪われる。仁和寺御殿、金堂、御影堂、五重塔なとが整然と配置されている。ここ仁和寺の桜は、「御室桜」といわれ丈の低いことで有名である。 霊宝館には多くの寺宝を収蔵し、本尊阿弥陀如来像、孔雀明王像などの国宝が含まれている。

この御室にゆかりの文人・芸術家としては、仁和寺の前に窯を開いた野々村仁清がいる。彼の名は仁和寺から貰っているとのこと。また尾形光琳もこの門前に住んでいた時期がある。

平等院
もとは光源氏のモデルといわれる源融の別荘であった地
●京阪宇治駅から徒歩10分●0774-21-2861
平等院
もとは光源氏のモデルといわれる源融の別 荘であった地。 のちに関白藤原道長が譲りうけ、その後、永承7年(1052)に道長の子頼通 が寺とした。

写真の阿弥陀堂は、左右に翼廊を伸ばした姿が鳳凰に似ていることとや実際に鳳凰をのせているので、鳳凰堂と呼ばれる。 宝物館には平安時代の美術品の数々がみられる。 宝物館は春と秋のみ開館。

宇治上神社
現存する最古の神社本殿と現存する最古の拝殿
●京阪宇治駅から徒歩13分●0774-21-4634
宇治上神社 国宝の本殿は、藤原時代の一間社流造りであり現存する最古の神社本殿。この宇治の中にあって宇治上神社は平等院とともに世界遺産に登録されている。 鎌倉時代初めの建築物である拝殿もまた国宝であり、こちらも現存する最古の拝殿である。 境内には宇治七名水の1つ 桐原水が湧き出ている。

西芳寺(苔寺)
120種類もの苔でおおわれた苔の庭園を持つ
●京都バス苔寺から徒歩すぐ●075-391-3631
西芳寺(苔寺) 120種類もの苔でおおわれた見事な苔の庭園をもち、苔寺の名称で知られる。 創建は、天平3年(731)、行基によると伝えられている。 衰興をくり返した後、暦応2年(1339)夢窓国師が入寺して禅の道場となり、伽藍を整え、名園を作った。 枯山水庭園と、心字池を中心にした池泉回遊式庭園からなる。 江戸中期頃からは寺運が衰え、寺は荒れ、庭園は苔むすこととなるが、苔の庭園は違った美しさを持つこととなった。

天龍寺
京都五山その筆頭の禅宗寺院
京福電鉄嵐山すぐ
天龍寺
京都五山その筆頭の禅宗寺院が天龍寺である。南北朝争乱を通し、室町幕府権力を確立した足利尊氏が、後醍醐帝を慰霊するため夢想国師を通し建立した臨斉宗の寺で、その塔頭は150余りを数えたといわれる。

寺内には夢想国師作庭といわれる庭園がある。嵐山・亀山が巧みに借景にとりいれられた池泉回遊式の庭園は実に豪華である。

金閣寺
足利義満が築いた山荘・北山殿を寺にした
市バス金閣寺道
金閣寺 まさに豪華絢爛の金閣寺は、応永4年(1397)、足利義満が築いた山荘北山殿を義満の死後、義持が禅寺したもの。金閣は3層の桜閣で、初層が藤原期の寝殿造、第2層が鎌倉期の武家造、第3層が唐様式仏間と各時代の様式を独創的に折衷させている。

最初の金閣は、昭和25年、同寺の一僧の放火により全焼した。昭和30年に復元され、62年には金箔の張直しも行われている。

金閣を中心とした池泉回遊式庭園は、衣笠山を借景した名園としても知られる。義満は造園にあたり、希代の見物といわれた名木、名石を諸大名から集めさせたということである。

慈照寺(銀閣寺)
足利義政が造営した山荘・東山殿に始まる。
義政の死後、慈照寺となった。
●市バス銀閣寺前から徒歩5分●075-771-5725
慈照寺(銀閣寺)
慈照寺(銀閣寺)2


文明14年(1482)、足利8代将軍義政が、山荘として東山殿を造営した。
山荘・東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられた。この東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。

なかでも銀閣は二層からなり下は心空殿、上は潮音間と呼ばれ、国宝に指定されている。また池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営された。 さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室として注目されている。東求堂も国宝に指定されている。

龍安寺
枯山水の石庭で名高い竜安寺
市バス龍安寺前すぐ、市バス立命館大学前7分、京福電車竜安寺道徒歩7分
龍安寺
竜安寺の石庭は、木や草はいっさい用いず15個の石と白砂だけで形作られている。不要なものを省いた簡潔美の極致といえ、禅の精神の表現ともいわれている。また、訪れる人もこの石庭が計算され作られていることに気付く。しかし、はっきりした 作意については諸説があり、訪れる人が各々に解釈する楽しみもある。作者についても相阿弥との説があるが定かでないところが興味深い。

この竜安寺は、宝徳2年(1450)に建立された禅寺。細川勝元が徳大寺家別 荘を譲り受け禅寺とした。 寺域内の鏡客池のまわりをめぐり景色を楽しむ人も多い。藤原時代の姿を残す弁天島や鏡客池に映る衣笠山の姿も美しい。

西本願寺
浄土真宗本願寺派の大本山
●JR京都駅から徒歩15分●075-371-5181
西本願寺 1

西本願寺 2
浄土真宗本願寺派の大本山であり、参拝者も多い。戦国時代には何度も迫害を受けたことは良く知られるが、天正19年(1591)に現在の地に移つた。起こりは、親鸞聖人の娘・覚信尼が東山に御影堂を開創したことによる。御影堂には親鸞聖人をまつる。江戸時代の再建の本堂には阿弥陀立像をまつる。

飛雲閣は金閣、銀閣とともに洛陽三閣の1つに数えられ桃山文化の美を伝えるもの。また日暮門はその彫刻に魅せられて日の暮れるのも忘れることから名付けられた。

二条城
慶喜により大政奉還が行なわれたのが場所として知られている
●市バス二条城前から徒歩すぐ●075-841-0096
二条城 1
二条城 2
二条城は、15代将軍徳川慶喜のときに、大政奉還が行なわれた場所として知られている。 もともと城郭としてではなく幕府の住居として建てられた性格のものである。 その真の目的は、御所にたいして目を光らせ、幕府の力を示すためでもあった。

まず、1603(度長8)年、家康は御所の守護として、また将軍の宿泊所として、二の丸御殿を造った。 また、3代将軍家光のときに本丸と石垣、さらにお壕を完成させた。 最初に造営された二の丸御殿は国宝となっている。 また唐門は、伏見城の遺溝である。 御殿は全部で33室、800畳の広さがあり、桃山期の武家風書院造り。 本丸御殿は、天明の大火で焼けたが、移築復元された。 天守閣は江戸中期に焼けているが、天守閣跡にたつと、京の三方の山々が一望できる。

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