正式名を慈照寺という。 文明14年(1482)、足利8代将軍義政が、山荘として東山殿を造営した。山荘・東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられた。この東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。なかでも銀閣(写真左)は二層からなり下は心空殿、上は潮音間と呼ばれ、国宝に指定されている。また池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営された。 さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室として注目されている。東求堂も国宝に指定されている。
正式名を慈照寺という。 文明14年(1482)、足利8代将軍義政が、山荘として東山殿を造営した。山荘・東山殿は義政の死後、臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺と名付けられた。この東山殿は、後の文化に大きな影響を与え、ここから東山文化が誕生した。なかでも銀閣(写真左)は二層からなり下は心空殿、上は潮音間と呼ばれ、国宝に指定されている。また池泉回遊式庭園は、義政と善阿弥が指導にあたり造営された。 さらに東求堂の一室である同仁斎は、初めての四畳半茶室として注目されている。東求堂も国宝に指定されている。