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古代豪族秦氏を訪ねて

蛇塚(へびづか)古墳(太秦面影町)

蛇塚

秦(はた)氏にゆかりある代表的な古墳が蛇塚古墳であり、秦氏の首長の墓であると推測されています。京福電鉄の帷子の辻駅から400メートル程南の住宅街の中に残つています。
 この古墳は盛り土が全部取り除かれてしまい、石室が表面に出てしまっています。横穴式石室で、古墳時代後期に西日本の各地で流行したということです。主 室部分(玄室ともいう)の大きさは、長さ6.8メートル、幅3.8メートル、高さ5.2メートルで、その前に幅2.6メートルの通路の部分(せんどう)が あり、外に開いており(写真上)、石室の全長は17〜18メートルであります。
また古墳の外形は住宅が出来たため、わからなくなっていますが、今から30年ほど前は住宅も無かったらしく、その頃は周囲の畑より一段とこのあたりが高くなっていたと言うことです。
 それは、石室と後円部を中心とした全長75メートルほどの前方後円墳であり、また、もっと以前は周囲に堀もあったと、地元の人は伝えています。
蛇塚古墳の規模は、飛鳥の石舞台古墳(蘇我馬子の墓)の石室と比べられるほどのもので、京都市内で最も大きいものです。

外形がわからなくなっている反面、巨大な岩の積み重ねられている姿は、石組みの研究には都合のよい状況です(写真)。
土地の人たちの話では、江戸時代には周囲が竹薮になっていて、ヘビがここにたくさんいたので、人が近づけなかっ たということです。
 またここに女盗賊のおしげという人が住んでいて、三条街道に出没し、盗みを働いていたという話が残つています。