京都ゆかりの文学の世界を追体験してみるのも、京都観光をじっくり楽しむ方法のひとつです

京都を舞台とした文学探訪

高瀬舟(たかせぶね)

作 者 森鴎外
発表年代 1916年(大正5年)1月、「中央公論」に発表。
あらすじとゆかりの場所 京都の罪人を護送する高瀬舟に、弟殺しの喜助という男が乗せられた。護送役の同心・羽田庄兵衛は、喜助が晴れやかな顔をしている事を不審に思い、その訳を 尋ねる。自分は重病だから自殺して兄を楽にしてやりたいと考えた喜助の弟は、自殺を図るが、刃がのどに刺さったままになり苦しんだ。家に戻り気づいた喜助 は医者を呼ぼうとするが、弟が必死に抜いてくれと頼むのでしかたなく抜き、弟はついに死んでしまった。喜助は、遠島(えんとう)を申し渡された際に与えら れた二百文をふところにした幸せをしみじみと話した。
鴎外は、江戸時代の随筆集「翁草」の中の「流人の話」をもとに書いている。財産についての観念と安楽死というふたつのテーマが含まれている。
現在、木屋町二条の高瀬川「一之舟入」跡(高瀬川の起点)には、高瀬舟が置かれ、往時を偲ばせている。

ゆかりの地:木屋町通二条の高瀬川「一之舟入」跡

高瀬川「一之舟入」跡江戸初期・慶長16年(1611)に、京の豪商・角倉了以により人工の河・高瀬川が開削され、大阪までの水運が開けた。高瀬川で使われた船が高瀬舟である。
この開削事業により京と大坂との商業の交流がいっそう盛んとなり、高瀬川沿いの木屋町には多くの材木商や料理店が賑わいをみせた。
このように高瀬川沿いの木屋町という名前の由来は、江戸時代に材木商が多く軒を連ねていたことによる。
アクセス 地下鉄東西線京都市役所前駅より徒歩5分

大きな地図で見る